エンジョイ!デブライフ

体重だいたい100kg!というデブライフをエンジョイするデーブ・トクモリが、「カロリー(熱量)=アツいこと、楽しいこと」を求めて、グルメ、おでかけ、写真、ガジェットetc...を追いかけます!

最初はなんとなく立ち寄った牡鹿半島の、震災前、震災直後、そして2017年

ども、カロリー求めて三千里、デーブ・トクモリです。2017年のゴールデンウィーク、日本一の桜の名所と言われる弘前公園(青森県弘前市)を目指して車でトコトコ北上しました。

その過程でいくつか寄り道をしたのですが、今回はその一つ、 牡鹿半島について紹介したいと思います。デーブは牡鹿半島に、震災前、震災2ヶ月後、そして6年経った今年の計3回立ち寄りました。その3回の、記録というか、見たものの変遷をまとめておきたいと思います。

今回、震災時の牡鹿半島の写真もありますので、閲覧にはご注意ください。

初めて行ったのは震災前、2009年の秋

まず牡鹿半島の場所について簡単に説明しときます。牡鹿半島は、宮城県の太平洋側、三陸海岸の南端に位置する半島です。


場所はこのへん。

当時、特に縁もゆかりもないこの地を訪れたのは、宮城県の塩釜高校の文化祭で、生徒が作った巨大ロボットのダンボールアートが展示される、と聞いたからでした。


塩釜高校のキャンパス。現在は、近隣の塩釜女子高と統合され、塩釜高等学校になっているそうです。

そして圧巻のダンボールアートがこれ。

デカい。ざっくり3mはあると思います。思いの外デカい。


床に置かれたザクの頭。


ダンボールという直線的な素材ながら、うまく元のロボットの特徴を表現しています。

で、一通り見終わった時点でまだ昼過ぎぐらいだったので、せっかくだからちょっと海のほうにドライブしてみよう、と思って寄ったのが牡鹿半島でした。


リアス式海岸の牡鹿半島を高所から一望できるコバルトライン(宮城県道220号線)を進みます。

絶景かな絶海かな!半島南部に向かってどんどん進んでいきます。

このときはカローラスパシオ(初代)に乗っていました。当時は高速1000円政策が実施されていて、時間を考えなければクルマ旅が一番安上がりでした。ここですっかりクルマ旅の習慣が染み付いてしまったわけです。


そんなこんなで着いた先が、石巻市の鮎川港。かつては捕鯨産業で栄えた町でしたが、現在は、半島に隣接する島・金華山への観光の入り口と、ホエールウォッチングが主な観光ポイントのようでした。上の写真は、金華山への船の乗り場のゲートです。

とはいえ、この時点でもう15:00ごろ。いまから金華山へ渡るわけにもいかないので、漁港といえば、という感じで海鮮丼を食べて帰ることに。

金華山行きのフェリー乗り場近くのお店で食べた海鮮丼。


大葉の上に乗っているのは、クジラ肉。


帰りは、コバルトラインではなく、海岸沿いの道をとろとろ走りました。


風光明媚というわけではないけれども、落ち着いた海辺の町でした。

震災後、2011年の5月。半島は、壊滅していた。

2011年3月11日に東北地方を襲った、東日本大震災。当時、仕事上でお世話になった方が宮城県で被災していて(自宅は基礎を残して全て津波で流されていた)、連休を利用して様子を見に行きました。

既にその方は(震災から2か月経っていないのに)県内で新たな住居を借りて、仕事を再開していました。そのバイタリティに、逆にこちらが勇気づけられてしまったり。

そんなひとときのあと、以前訪れた牡鹿半島の様子が気になって、足を運んだのでした。

前回は、国道398号線からコバルトラインへ分岐したのですが、コバルトラインは一般車両通行止めになっていました(※女川町の仮埋葬用地になっていたため)。
そのため、一旦そのまま半島の根元を通り抜け、女川町の中心部へと抜けたのですが、そこには想像を絶する光景が広がっていました。

ほとんどの建物は基礎を残して消失していました。

このアパートは原型をとどめていましたが、4階のベランダに大量の瓦礫が絡まっています。津波があの高さに達したということなのでしょう。

鮎川港に向かうために一旦Uターンし、前回帰りに通った半島の海岸沿いの道を行くことにしました。

沿岸部は、壊滅そのものでした。

そして、どうにかたどり着いた鮎川港は、沿岸部同様、完全な廃墟でした。


船着き場のゲートは、沈んでいました。
牡鹿半島は地震の影響で地盤が1m近く沈下したため、岸壁周辺の多くが水没してしまっていました。この光景には、津波で破砕された建物よりも、ある意味で大きなショックを受けました。崩れた建物は同じ場所に建て直せるかもしれない。でも、もうここは「陸上ではなくなってしまう」のだろうか、と。

日没に従って水位が上がってきたのか、女川町の沿岸部も時間の経過で浸水し始めたので、注意しつつ(日が落ちると当然完全に真っ暗になるので)急いでこの地を離れました。(乗ってたクルマがエクストレイルで本当に助かった)


このとき、別件の用事で立ち寄った山形で、偶然、あの塩釜高校のダンボールアートと再会したのは、望外の喜びでした。

この作品と、その作り手の無事はもちろんのこと、牡鹿半島を訪れるきっかけになったこの作品群にまた会えたことで、勝手な思い込みですが、かの地と、ボクの間の薄くて細い縁は、まだ切れていなかったんだ、と。

そして、2017年の今。

長い長い回想が終わって、今年の4月30日の話に戻ります。この日は、弘前に向かう道すがら、鹽竈神社(しおがまじんじゃ)にある、鹽竈桜(シオガマザクラ)を見に行ったんです。


シオガマザクラは、薄桃色の花弁が40枚も重なる八重桜の品種。

神社の敷地内には、ほかにも緑色の花を咲かせる桜「御衣黄(ギョイコウ)」など様々な品種の桜が植わっていて、ソメイヨシノが終わったタイミングでもまだまだ桜を楽しむ多くの参拝客で賑わっていました。。

予定より早く到着したこともあって、ちょっと時間に余裕がありました。そう、8年前のあのときと一緒です。あれからどうなったのか、見ておきたい。そう思って、サンバーを走らせました。

海岸沿いは、高い防潮堤の建築が進んでいました(上の写真の右奥)。

そして鮎川港にたどり着くと……

あった!クジラのゲート!その周辺の、廃墟と化していた建物は全て撤去され、ほぼ更地の状態ですが、岸壁は整備され、ゲートも健在なようです。


この鮎川港一帯は、震災復興事業で、下がった地盤を嵩上げして整備されたそうです。


そして、ゲートは同じ位置に建て直されたそうで。


ただし、先程書いたとおり、周辺はまだ完全に更地です。船着き場の近くにいらっしゃった地元の方に話を聞くと、
「下がった地盤を嵩上げして整備したのはいいんだけど、今度はここ1年で何十cmも隆起しちゃって、これから岸壁を削る工事をするんだって。ホエールランド(おしかホエールランド。牡鹿町の捕鯨文化を紹介する博物館)は規模を縮小して再開するみたいだけど、地盤を盛ったり削ったりばっかりにお金を使ってばかりで、肝心の復興は進まないねえ……」
と語ってくださいました。

同じように壊滅的な被害を受けた女川町では、マリンパル女川おさかな市場が復興の象徴として賑わいを見せているのと比べると、鮎川港は漁港としての最低限の機能が復旧したものの、外から人を呼べる状態とはとても言えないのが現状でしょう(金華山への連絡航路はありますが)。

あれだけの大災害を経て、土地の形すらも変わってしまって、「前と同じ」には戻れないのかもしれません。ちょっと訪れただけのボクには、その是非を問う知識も、資格も、覚悟もありません。

でも、「なんとなく来たけど、いいところだな」とまた思えるような日が、来てほしいです。無責任な物言いですが。


徹底的に防潮堤で固められている海岸線。ことの是非を超越した、人間の意地というか、意思表示のようなものを感じました。

 

また何年かしたら、ぶらっと訪れてみたいと思います。

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2009年に訪れた際の写真は以下のアルバムに公開しておきます。

  

今回使ったカメラとか

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